別館で書いている小説「エトフォルテ防衛戦線ヒデ!」第74話を更新しました。
毎回自分が影響を受けた作品を紹介している創作雑記番外編。
今回紹介するのは、この映画。
2002年公開の映画「スパイダーマン」。
私の初見は公開後のレンタルでしたが、ストーリー展開にショックを受けました。
ネタバレを極力避けて説明すると、
主人公ピーター・パーカーが、スパイダーマンとなったことで親しい人たちとの別れを経験すること。
「スパイダーマンは敵だッ!」
と、執拗に批判する人がいること(応援してくれる人もいるけど)。
ダイナミックなアクションと同時に、何度も描かれる寂しさと悲しさ。
そして、あまりに有名な
「大いなる力には、大いなる責任が伴う」
という言葉。
劇中で何度も繰り返され、ピーターの心に重くのしかかってきます。「スパイダーマン」は未見でも、この言葉を聞いたことのある方は多いのではないでしょうか。
この「スパイダーマン」からしばらく後、私は複数のアメコミ実写映画を映画館に見に行くようになりました。アメコミ実写映画のまとう空気感が、とにかく気になってしまって。
アメコミ実写映画は
「ヒーローになる=スーパーパワーを得ることは、幸せとは限らない」
「ヒーローであろうと、社会=世間とのつながりからは離れられない」
この二つのテーマを、見ている人に常に問いかけているように思います。
もちろん、ヒーローになったことで得る幸せもあるけれど。
『リアルの日常の延長線上に、もしヒーローがいたらどう思う?人は、いつでも笑顔で拍手をヒーローに送れるか?』
という、厳しい空気を常にまとっている印象です。
ヒーローが当たり前のように存在し、毎年新たなヒーローが誕生しまくる日本があったとして。
もしヒーローたちが社会への責任や力の扱いに無頓着になったら。
もしヒーローが社会の重要な地位に進出して、わがもの顔で振舞い出したら、どうなるのか。
自分の小説のそんな世界観を考えるきっかけは、アメコミ実写映画の数々。その原点は2002年の「スパイダーマン」でした。